瓦今昔物語

石州瓦

石州瓦は、飛鳥時代の石見国分寺の建立に始まり、江戸時代初期、浜田城築城と城下町建設に造られたのが基盤となりました。

江戸時代の中期、雲州地方の来待石(現在の八束郡宍道町)からとれる釉薬を使うことで、石州瓦独特の「赤瓦」として注目を浴び、山陰はおろか北前船によって北陸から北海道にも運ばれていきました。今でも山陰地方を訪れると、赤瓦の町並みが連なり、この地方独特の風情と景観をかもしだしています。

そして現在、石州瓦は日本三大産地の一つとして、西日本を中心に大きく発展しています。それは石州地方に豊富に埋蔵された良質の陶土と、その陶土に挑み続けてきた多くの職人たちの匠で技で培われた伝統によって成し遂げられました。

今日、石州瓦は、原土処理からプレス(成型)、乾燥、施釉薬、焼成、検査にいたる生産工程すべてが機械化自動化され、品質面、供給面でより高度で安定した生産システム、新技術が導入されています。そして耐震、耐風、防水等いわゆる防水性を向上させた防災瓦や、和風、洋風など景観性を考慮した新型製品(S 型・平板等)の開発も盛んに行われています